自然栽培を実践する農家の今橋さんは、就農から現在まで20年以上の経験を重ねてこられました。今回は、今橋さんが自然農法を志したきっかけや、就農初期に体験した稲の劇的な変化について整理してお伝えします。
内定辞退から自然農法との出会いまで
農家の生まれではない今橋さんは、大学時代に農業の知識を全く持っていませんでした。商業科に在籍し、卒業後は内定していた大手ハンバーガーチェーンへの就職を控えていたそうです。
しかし卒業直前、本当にこの道でよいのかと自問自答を重ねました。中途半端な気持ちで働くのは会社にも失礼になると考え、内定を辞退されます。
進路を模索していたある日、車で5分ほどの近所に住む知人が自然農法を行っていることを知りました。その知人に相談し、2反の畑を借りて無肥料・無農薬の栽培をスタートさせます。
この時期は印刷会社でアルバイトを続けながら、毎日畑に通って手探りで作業を学びました。
環境問題への衝撃と山口県での新規就農
転機となったのは、知人に誘われて参加した地球環境に関する講演会でした。「地球村」の高木善之さんの話を聞き、地球の現状に対して強い危機感を抱いたといいます。
自分に何ができるかを考えた結果、無肥料・無農薬の自然農法を広める道を選びました。この農法が普及すれば、地球環境の保全に大きく貢献できると考えたためです。
当時はインターネットも普及しておらず、耕作放棄地の情報も容易には手に入りませんでした。自ら車を走らせて足で農地を探し回ります。
最終的に友人のつてを頼り、福岡県北九州市から山口県へ移住することを決めました。20代前半の若さで周囲の反対もありましたが、専業農家への転身を決断します。
家賃1万円の古い一軒家を借り、水田と畑を合わせて約1町歩(約1ヘクタール)の規模で本格的な就農生活が始まりました。
貯金7万円からの過酷なスタート
当時の今橋さんは農業機械の扱い方も知らない、完全な初心者でした。機械は地主から借りたものの、使い方すら手探りの状態が続きます。
就農時の貯金はわずか7万円でした。日々の食事にも困り、体重は元の58キロから43キロまで激減したそうです。
週末には友人たちが手伝いに訪れ、料理を作って支援してくれました。食事は1日1食という過酷な生活でしたが、自然農法に打ち込む日々の中で体力がつき、精神的な充実感を得ていたと振り返っています。
怒りの感情が引き起こした稲の異変
就農当初の今橋さんは、人間は単に草取りや植え付けを行うだけの存在だと考えていました。人と田畑の関係は、物理的な作業だけに過ぎないという認識です。
その考えを根底から覆す出来事が水田で起こりました。苗を手植えしていたある日、人間関係のトラブルから強い怒りや鬱屈した感情を抱えたまま作業を行ってしまったのです。
すると、植え付けから3日から5日ほど経った頃、植えた苗が一斉に枯れ始めました。
近隣のベテラン農家に見てもらったところ、「これほどひどい状態は見たことがない」と驚かれたそうです。このとき今橋さんは、人の感情や心が作物に直接伝わってしまう事実を痛感しました。
謝罪と感謝が生んだ奇跡的な収穫
事態を重く受け止めた今橋さんは、枯れてしまった稲に向かって本気で頭を下げました。「すみませんでした」「どうか復活してください」と、1週間にわたり毎日田んぼに頼み続けたといいます。
すると、完全に枯死したように見えた苗の中心部から、新しい葉が芽を伸ばし始めました。結果としてほぼすべての苗が息を吹き返し、無事に秋の収穫を迎えます。
その年の玄米の反収は8俵を記録しました。自然栽培の平均的な反収は4〜5俵程度とされるため、一度枯れかけた田んぼから一般的な基準のほぼ倍に近い収量を上げたことになります!
この体験を経て、作物の見方や農業に向き合う姿勢が大きく変わりました。
翌年の2年目は、どんな状況であっても感謝の心を保ちながら作物を育てるよう努めました。野菜や米が人の命を支えてくれている事実を受け止め、真摯に向き合ったのです。
その結果、2年目の反収は12俵にまで達しました。今橋さんはこの成果を通じ、農業とは土と作物だけでなく、携わる人間の心も深く関係しているのだと確信に至りました。
この山口県での専業農家時代に、今橋さんはその後の歩みに大きな影響を与える師匠と出会うことになります。
出典・元動画:
自然栽培20年の今橋さんのYouTubeチャンネルより
※本記事はAIによる要約と文字起こしデータに基づき、内容を整理したものです。
※今橋さんの素晴らしい取り組みを応援したく、学びを共有させていただきます。












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